Pride of Wacom - ワコムの矜持

さらに深く潜るために:狭ベゼルがもたらす「ひとつ先の創作体験」

狭ベゼル化は、ディスプレイを熟知することから始まった

ワコムが狭ベゼル化に取り組むきっかけとなったのはデジタルデバイスを巡るトレンドだった。検討が始まったのは今からおよそ6年前のこと。あらゆるディスプレイ製品においてベゼルはますます狭くなり、パネルの端まで有効活用する機能的かつ洗練されたデザインが主流となりつつあった時期だ。ワコムにも「この時流に遅れを取ってはならない」という危機感があった。白羽の矢が立ったのは、液晶タブレットのフラッグシップモデルであるWacom Cintiq Proシリーズのリニューアルだった。

狭ベゼル化を推進するにあたり、まず必要となったのがディスプレイに関する知識だった。ベゼルが狭くなるということは、従来ベゼルの下に配置していたセンサーやコイルといったコンポーネントのためのスペースが物理的に減少するということ。必然的にセンサーのサイズも小型化せざるを得ず、ディスプレイからのシグナルも得られにくくなる。加えて、液晶から生じるノイズも大きく、結果としてSNR*1が悪化する。つまり、ベゼルを狭くするという目的を達成するには、ディスプレイ自体への理解をさらに深めなければならないのだ。

ワコムが狭ベゼル化に取り組むきっかけとなったのはデジタルデバイスを巡るトレンドだった。検討が始まったのは今からおよそ6年前のこと。あらゆるディスプレイ製品においてベゼルはますます狭くなり、パネルの端まで有効活用する機能的かつ洗練されたデザインが主流となりつつあった時期だ。ワコムにも「この時流に遅れを取ってはならない」という危機感があった。白羽の矢が立ったのは、液晶タブレットのフラッグシップモデルであるWacom Cintiq Proシリーズのリニューアルだった。

狭ベゼル化を推進するにあたり、まず必要となったのがディスプレイに関する知識だった。ベゼルが狭くなるということは、従来ベゼルの下に配置していたセンサーやコイルといったコンポーネントのためのスペースが物理的に減少するということ。必然的にセンサーのサイズも小型化せざるを得ず、ディスプレイからのシグナルも得られにくくなる。加えて、液晶から生じるノイズも大きく、結果としてSNR*1が悪化する。つまり、ベゼルを狭くするという目的を達成するには、ディスプレイ自体への理解をさらに深めなければならないのだ。

ワコム製品の狭ベゼル化を主導し、ディスプレイとEMRの間で生じるノイズ対策を統括した小谷佳宏(こたに・よしひろ)はプロジェクト発足当時を振り返る。

「狭ベゼル化に取り組み始めた頃のワコムには、ディスプレイに関する専門知識を持ったメンバーがほとんど存在しませんでした。そこで、次世代のWacom Cintiq Proシリーズ開発をスタートするにあたり、ディスプレイエンジニアリングという部署を新たに立ち上げたのです。その後、ディスプレイに詳しいメンバーが数人加わり、ディスプレイメーカーとも膝を突き合わせた議論ができるようになりました。実際、狭ベゼル化を進めるにあたり、一番時間がかかったのがディスプレイメーカーとの対話でした」(小谷)

実のところ、プロジェクトが本格的に動き始めるまでには1年以上の時間がかかっている。その期間、小谷はディスプレイのSNR*1改善に全力を尽くした。ディスプレイを分解し、回路の細かな分析を重ね、ありとあらゆるシミュレーションを繰り返した。

「1年から2年ほどは基礎的な研究に集中しました。新しい製品設計では、筐体の金属や構造物の影響でシグナルが下がります。シグナルが下がると正しいペンの位置を認識できません。ディスプレイからのノイズも大きく、シグナルとノイズが逆転していたのです。Wacom Cintiq Proシリーズでは4Kの解像度で120Hzのリフレッシュレート*2を目指していましたが、それすら諦めようと思う瞬間もなかったわけではありません。それでも、やはり私の課題はノイズを下げることだった。結論としては、私たちのセンサーであるEMR*3側でノイズをキャンセルするという調整だけでは理想の実現は難しいことがわかり、メーカーとの協業によってディスプレイ側も最適化を図るという方向が見えてきました。試行錯誤に明け暮れた末、やっとの思いでひとつの『解』を見出すことができました」(小谷)

求めていた「解」に辿り着いたときを思い返して語る小谷の顔には、エンジニアとしての満足感があふれていた。

*1  SNR(Signal-to-Noise Ratio):目的の信号(S:Signal)に対する雑音(N:Noise)の量を対数で表したもので、電気回路や通信回路、音響機器などの性能を表す際に用いられる数値。

*2 リフレッシュレート:液晶画面が1秒間に何回更新されるかを示す数値。

*3 EMR:EMR(電磁誘導方式)は、ワコムが特許を取得したディスプレイ関連の技術。デバイスの液晶ディスプレイ画面の裏側にあるセンサー層と強化ガラス層で構成される。

狭くなった余白:物理的なサイズダウンに挑む

ベゼルが広ければ広いほど、コイルやセンサーなどディスプレイの末端部分にまで余裕を持って配置できるが、狭ベゼルを実現しようとすればそれだけ物理的制約が大きくなる。LCD(液晶ディスプレイ)モジュールや筐体の部品など、削れるところを削り、少しずつ幅を詰めることで、要求されるレベルのベゼル幅を実現しなければならない。この重要な役割は、EMRモジュールのメカニカルエンジニアである野村優(のむら・ゆたか)に託された。

「ペンの精度を保ちつつ、LCDモジュールを小型化する。この二つの課題を解決するため、新たな試みを取り入れました。Wacom Cintiq Proシリーズから採用した新しいデジタイザー*4もそのひとつ。デジタイザーの外周にCNC加工*5を施し、デジタイザーの寸法の安定性と精度を高めながら、組み立ての方法も変えました。LCDモジュールとデジタイザーの位置関係をなるべくズラさず、最も精度が出るようにするという作り込みには苦労しましたね。従来の製品ではLCDモジュールの筐体には金属を用いていました。金属の場合、デジタイザーとの距離が近いと精度に影響しやすくなるため、Wacom Cintiq Proシリーズからは金属も使いながら、外周の壁には新たに樹脂を用いています。樹脂は、金型内にあらかじめ用意した金属部品をセットし、その周りに樹脂を流し込んで一体化するインサートモールドという方式 で形成したもの。樹脂を取り入れたのも、すべてはベゼル幅を詰めるためです。Wacom Cintiqシリーズ からは樹脂にガラス繊維を織り込み、さらなる堅牢性の向上も図りました。LCDモジュールを筐体に固 定する方法も接着剤と両面テープに変えたことで、その分だけ幅を詰めることに成功しました。こうした 小さなトライアルの積み重ねによって、ワコムとして初めての狭ベゼル製品を実現できました」(野村)

Wacom Cintiq Proシリーズの場合、フラッグシップモデルということもあり、高級感を担保する意味でも多少はコスト的な余裕があった。一方で、普及モデルであるWacom Cintiqシリーズではコストも抑えなければならない。狭ベゼルというデザインコンセプトは維持しつつ、一般的なディスプレイを使いつつ、EMR側のソフトウェアやファームウェアでの調整が図られた。リフレッシュレートも120Hzから60Hzに変更したことで、ノイズも抑えることに成功している。

基本設計はフラッグシップモデルを踏襲しつつ、価格とパフォーマンスのベストバランスが追求した結果、新しいWacom Cintiqシリーズは誕生したのである。

*4  デジタイザー:FPC(フレキシブルプリント基板。プラスティックフィルムで作られた薄く柔軟性のある基板のこと)やFR-4(ガラス繊維を布状に編んだガラス織布にエポキシ樹脂を滲みこませた硬い基盤。難燃性と低導電率を両立する)などのセンサー基盤と磁性層シートの組み合わせのこと

*5  CNC加工(Computer Numerical Control Machining):コンピューター制御によって工作機械を操作し、高精度な部品や製品を製造するプロセス。CADやCAMソフトウェアで設計されたデータに基づき、自動的に材料を削り取ったり、穴を開けたり、彫刻したりといった加工を施す。

ペンのパフォーマンスは落とさない:アルゴリズムを最適化する

EMRモジュールのソフトウェアおよびファームウェア*6の開発を担ったのが外崎縁(とのさき・ゆかり)。センサーから得られるシグナルが少なくなった状態でも従来どおり、あるいは、それ以上にペンのカーソルが狙った位置にでるよう、精度を高めるためのアルゴリズムのチューニングを手がけた。外崎らが心掛けたのは「ベゼルが狭くなったことを理由にペンのパフォーマンスを落とすことはあってはならない」という一点だった。

「以前の製品設計であれば、センサーの端(エッジ)からどのぐらい内側までペンの性能が出ていれば良いという一定の基準がありました。しかし、ベゼルが狭くなりセンサー自体も小さくなったことで、センサーから画面の端までも狭くなったので、性能を出さなければならないエリアが広がった。すると、これまでと同じアルゴリズムで座標を計算すると端では性能が十分に発揮できず、描線が曲がったり、ペンのカーソルがズレたりというようなことが起こり得ます。そこで、センサー設計のチームと協力してコイル幅や配置の試し、アルゴリズム自体も全く新しいものを取り入れつつ、最終製品での性能を担保できるパターンを探っていきました。従来の計算処理ではうまくいかないということがあったので、これまでにはない処理を考えて解析を進めていきました。小さくなったセンサーで取れている信号を改めて解析し、エラーをキャンセルできる補正計算を逆算的に組み込んだことで、ユーザーが思い描いた場所に常にカーソルを出すことができるソフトウェアを開発できたと思います」(外崎)

エッジ部分の補正に関しては、知見に一定の共通性はあるものの、製品ごとに個別に調整しなければならない。筐体や部品の素材、機械的構造はすべての製品で異なるため、単純に使い回しができないためだ。そのため、アルゴリズムの基本は同じでも、最終的な解決策は個別具体的なものとなる。

「Wacom Cintiq Proシリーズでは別のエンジニアが、最新作のWacom Cintiq シリーズでは私が担当しました。ベースは踏襲しつつ、Wacom Cintiq Proシリーズが発売されて以降に開発した製品で得られた知見も生かしながらアルゴリズムの改善を図っています。これまでに培ってきた知識に、新たなエッセンスを足していくようなイメージでした」(外崎)

フラッグシップペンであるWacom Pro Pen 3もサポートするようになった今回のWacom Cintiqシリーズ。ディスプレイのエッジ部分でも関係なく、思うがままに線が描ける。「自由自在に線が引けるなんて、当たり前すぎて気が付かなかった」そんな感想が寄せられたなら、それはエンジニアにとって何よりの褒め言葉ではないだろうか。

*6 ソフトウェアおよびファームウェア:ソフトウェアはPCやスマートフォン上で動作するアプリやOSなどのプログラム全般を指す。一方、ファームウェアはハードウェア内部に組み込まれた制御用プログラムで、機器の基本動作を司る。両者の主な違いは、ソフトウェアが柔軟な機能追加・変更を担うのに対し、ファームウェアはハードに密接し、機器の安定動作を支える役割を持つ点。

技術進化のマイルストーン:狭ベゼル化の挑戦は続く

小谷が提案したディズプレイとEMRセンサーに関わる要件に沿って、外崎がソフトウェアとファームウェアを調整し、野村がコンポーネントを小型化して最終製品として成立させる。役割の異なるエンジニアが自分自身のこだわりを大切にしながら機動的に連携できたのは、「開発の初期段階から、基本となる設計コンセプトを共有できたことが大きい」と野村は話す。本格的な開発に入る前に十分な予備研究を重ねたことで、プロジェクトの方向性に迷うことなく進むことができたのだろう。

狭ベゼル化によってさらなる魅力を引き出されたワコムのタブレット。エンジニアたちは新しいユーザー体験に想いを馳せる。

「ワコム初の狭ベゼル製品であるWacom Cintiq Proシリーズは、優れた光学特性を備えたディスプレイや高いリフレッシュレートを備え、ペンのレイテンシー(遅延)も改善しており、パネルとしてのクオリティは業界トップクラスと自負しています。デザインもスタイリッシュに仕上がりました。EMRの性能も最大限に発揮できています。あらゆるニーズに応えられる製品になっていますので、いろいろなタイプのクリエイターに楽しんでもらいたいと思っています」(小谷)

「Wacom Cintiq Proシリーズも、Wacom Cintiq シリーズも、従来モデルと比較して機能は向上しながらサイズはコンパクトになっています。余裕ができたスペースにキーボードを置くなど、今まで以上に創作活動の自由度が広がると思います。これまでにない新しいペン体験をお届けできたら嬉しく思います」(野村)

「今回リニューアルしたWacom Cintiqシリーズでは、極力コストを抑えつつ、Wacom Cintiq Proシリーズの技術を取り入れたことで、フラッグシップモデルに近い体験を実現しています。前世代のWacom Cintiqシリーズが発売されたのが2019年なので、すでにお使いいただいている方であればこの6年間での進化も感じてもらえると思います。プロフェッショナルなクリエイターだけでなく、趣味で絵を楽しまれているライトユーザーにもぜひ手に取っていただき、さらに深く創作に没頭してもらいたいですね」(外崎)

狭ベゼル化は単純なデザインのトレンドではなく、ディスプレイの本質的役割を問い直し、既成概念を解体して再構築することで、ユーザーとのインタラクションを根本から刷新するコンセプトと言えるかも知れない。さらなる没入体験を実現するために、狭ベゼルに磨きをかける挑戦は続いていく。

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