ワコムのペンタブレットの代名詞的存在であるWacom Intuos Pro。2017年以来、8年ぶりにリニューアルを遂げたこのハイエンドモデルは、表現力と操作性を継承しつつデザインから機構までを一新。
より薄く、より軽くというタブレット進化の潮流を踏襲しながら、クリエイターの求めるユーザビリティを追求した高級感あふれる魅力的なプロダクトに仕上げられている。
生まれ変わったWacom Intuos Proには、5年の開発期間を経て完成した新しいICが搭載され、性能面で飛躍的な改善を遂げた。その性能を存分に引き出し、クリエイターの創作に貢献するため、ボタン類やスイッチ類などの配置やデザイン、いわゆるハードウェアのユーザーインターフェース(UI)もゼロから考え直されている。
従来モデルのWacom Intuos Proがクリエイティブの現場でどのように使われているのか。どのようなプロダクトであればクリエイターに違和感なく受け入れられるのか。新しいWacom Intuos Proはクリエイターに対してどのような提案ができるのか。クリエイターの視点を徹底的に研究した上で、理想的なデザインの検討が日々重ねられ、ようやく その姿が形となった。
クリエイターからの要望に応えるため、ペンタブレットのフラッグシップモデル開発を検討するETC *1が発足したのが、今からおよそ3年前のこと。ここから、次世代のWacom Intuos Proの歩みがスタートした。デザインワークを主導したのはテクノロジー&エクスペリエンスのディレクター・オブ・デザインを務める西澤直也。西澤は次のWacom Intuos Proのあるべき姿として「クリエイターのワークフローに溶け込むプロダクト」を念頭に置き、プロダクトデザインを根本から見直した。
「元々、一世代前のWacom Intuos Proは『一台であらゆるワークフローに対応するペンタブレット』を標榜して開発されたもので、描画でも、映像編集でも、このペンタブレットだけで作業が完結する前提のプロダクトでした。実際、そのように使ってくれているクリエイターも数多く存在します。
一方で、Wacom Intuos Proを使っているクリエイターの話を伺うと、実はキーボードも加えたワークフローを採用しているケースが少なくないことも把握できていたんですね。今回のリニューアルでは、『クリエイターのワークフローを大切にする』という原点に立ち返り、ワコムが理想とする使い方を押し付けるのではなく、実際のワークフローに自然に溶け込むプロダクトを目指しました」(西澤)
あくまでクリエイターのために。この姿勢が次世代のWacom Intuos Proの出発点となった。
*1 ETC:部門横断的に集まった有志から構成されるタスクフォース。日常業務で培った専門領域の知識と経験を集積し、特定の課題解決を図ろうとする時限組織
今回のデザインテーマのひとつが、プロダクトの厚みを極力抑えることだった。デスクにおいて作業した際、プロダクトに厚みがあると、作業で動かした手が縁に近づいたときに段差を感じる。「手が落ちる」という感覚だ。
それはクリエイターにとっては一種のノイズ。クリエイティブの妨げにもなりかねないため、できるだけ厚みを感じさせない薄い形状を追求した。薄くすることで、さらに軽くもできる。ポータブルで利用するクリエイターが増えているなか、軽いことは大きなメリットになる。
「今回の開発過程でも、『先ずはノート一冊分、究極的には紙一枚の厚さを実現したい』という話は開発チームの間で話していました。もちろん今は発展途上ですが、今回のWacom Intuos Proではかなりドラスティックに薄くすることができました。今のクリエイターたちはモビリティを重視するため、より薄く、より軽くというデザインの方向性は開発当初からのスコープでしたね。
前世代のWacom Intuos Proは利き手によって上下を反転させて使うことを前提としていたため、全体の厚さを均一にする必要がありましたが、今回のリニューアルではボタン類の配置や数を変更し、利き手を問わずに同じ向きで使用できる、シンプルな発想でデザインしています」(西澤)
ハードウェアのユーザーインタフェースのリデザインで大きく変更されたのが、特定のアクションをカスタムで割り当てられるエクスプレスキーの配置だ。従来モデルではキーボードと併用した場合に、作業中の手が触れて誤作動を生じるケースもあったため、クリエイターのワークフローに基づいて、あるべき姿が模索された。ハイエンドモデルとしてのデザインのあり方についても、日夜、侃侃諤諤 (かんかんがくがく)の議論が重ねられたという。
「ワコムのハイエンドペンタブレットに相応しいデザインを探るため、いくつものサンプルを試しました。エクスプレスキーは基本的にブラインドタッチで使われる部分であり、その観点からも検証を重ねました。また、私の個人的なこだわりとして、ルック&フィールについても高級感を求めました。今のクリエイターたちは一眼レフカメラやドローンなどを使いこなす方も多く、そうした他のプロダクトと並べた時に違和感なく存在できる佇まいを実現したかったのです。明確な顧客像を思い浮かべたことで、テクスチャーのある塗装やステンレスプレートの加飾など、クリエイターが手元に置きたいと感じるモノのあり方を実現できたと思います」(西澤)
西澤の言葉からは、クリエイターの創作を支える機能面は当然のこと、いつも手元に置いて愛でることができる質の高いプロダクトを実現できたという確かな自信が滲み出ている。
西澤たちが描く理想のデザインを実現するため、機構設計の観点から開発を支えたのがEMRモジュールメカニカルエンジニアの前田正之だ。デザインチームの要望を実際に形に落とし込んでいく過程では、数々の困難と向き合った。
「薄さ、軽さを追求する時に課題となるのが強度と堅牢性。今回、ボディにマグネシウム合金を使用し、内部の機構も工夫することで従来品と同等レベルを達成しています。また、側面から見た時に厚みに傾斜を付け、クリエイターが最もよく使う手前側を薄くし、奥側の厚みがある部分にコンポーネントを収めています。この発想は2024年に発売したWacom Movink 13と同じものです。
ペンタブレットであるWacom Intuos Proの場合、電池を内蔵する必要があり、その点も厚さに影響するため、回路設計でも難しい部分がありましたが、結果的には、厚さ、重さ、共に従来のWacom Intuos Proのおよそ半分 にまで減らすことができました」(前田)
機構面での挑戦も振り返る。ユーザーインタフェースの面で言えば、一つの領域に5つものキートップを配置したプロダクトは、ワコムでも今回のWacom Intuos Proが初めて 。狭い領域に多数のボタンを設け、さらに今回追加されたダイヤルキーとのバランスも調整するというのは至難の業だったという。
「これだけの数のボタンを付けると、回路設計や機構面でかなりの調整事項が発生します。これらを問題なく筐体に納め、なおかつ、見た目を美しく仕上げるのは想像以上に難しい課題でした。ダイヤルキーも左右に一つずつ付いていますが、『これって本当に必要ですか?』と企画をしたETCチーム、ならびにデザインチーム に噛みついたこともありましたね(笑)。それでも議論を重ね、クリエイターから求められているということに改めて納得できたので、技術的に解決できるよう努力しました。ボタンを押した時やダイヤルキーを回した時の感覚や音も、クリエイターの創作を妨げない、心地よいものを探りました」(前田)
今回のリニューアルではBluetoothも2系統に増やした。クリエイターによっては、同じペンタブレットを2つのワークステーションに接続し、切り替えながら作業するケースがあるという。従来のWacom Intuos Proでもソフトウェアによって接続先を変更できたが、今回はハードウェアにスイッチを設けることで迅速かつ直感的な切り替えを可能にした。これもクリエイターのワークフローをつぶさに観察することで見えてきたニーズだ。環境配慮の面で新たな取り組みも。Wacom Intuos Proは3サイズで展開されるが、最大限、使用部品を共通化した。サイズごとに別の部品を調達するとなると、製造や輸送においてそれだけ環境負荷が高まる。
「部品の共通化は設計上の制約を生じることもありますが、開発の都合を優先せず、環境への配慮を最後まで貫き通しました。モジュール化は商品企画からの要望ではなく、エンジニアとしてあるべき姿勢と向き合い、主体的に取り組んだことです」と前田は振り返る。一見すると「すべてを同時に成立させることはできないのではないか」と思えるほどの課題の数々。それを笑顔で乗り越える前田たちを支えるのは、「未知の挑戦こそが何よりの喜び」というエンジニアの矜持なのだろう。
Wacom Intuos ProにバンドルされるデジタルペンはWacom Pro Pen 3。高精度な筆圧感知と傾き検出機能。力強いブラシ描画や軽い直線の描画まで思いのままに描画できる表現力。クリエイターの好みに合わせてグリップの太さやサイドスイッチの数、ペンの重心を自由に変えられるカスタマイズ性。あらゆる点においてワコムのフラッグシップペンを名乗るに相応しいクオリティを誇る。
Wacom Intuos Proでは、これまでのパーツ類に加えて、新たにラバーライクな替え芯(ニブ)が付属された。その意図を前田はこう説明する。
「従来のWacom Intuos Proをお使いのクリエイターから『替え芯の消耗が早い』というご指摘があったんですね。そこでまず、タブレット表面に貼るオーバーレイシートの素材を変更しました。これにより替え芯の寿命を伸ばして交換頻度を下げることに成功し、書き味も改善されています。
また、これまでWacom Pro Pen 3に同梱される替え芯はスタンダードとフェルトの2種類でしたが、このWacom Intuos Pro発売のタイミングでラバーライクな替え芯を追加しました。この替え芯はやや柔らか目の筆記感でありながら磨耗が少ない素材。数多のサンプルから見つけ出したもので、ワコムが求めていた新しい描き味 をもたらしてくれました。
オーバーレイシートを貼り替えることなく、新たな描き味 を楽しめます。Wacom Pro Pen 3ならではのペン体験をぜひ楽しんでもらいたいですね」(前田)
あわせてペンスタンドもブラッシュアップが図られた。クリエイターの声を反映し、過去のペンスタンドの良い部分はそのまま引き継ぎ、替え芯の収納部分をデザイン的に認識できるようにするなどの工夫が加えられた。
「私たちとしては、Wacom Pro Pen 3のカスタマイズ性を楽しんでもらいたいので、すべてのパーツを持ち運べるペンスタンドを検討していたのですが、クリエイターの立場からはそれはあまり重要ではなく、むしろシンプルなものが求められていることがわかりました。これもクリエイターに寄り添うことで見えてきたことです」(西澤)
プロダクトデザインを生業とする者として、西澤はある一つの自戒を口にする。
「ワコムでプロダクトをデザインに携わる上で意識しなければいけないのが、『クリエイターのワークフローを理解した気になってはいけない』ということだと思います。これはチームメンバーとも常に話していることです。理解したつもりになってプロダクトの使い方を一方的に提案するのは、私たちの驕り以外何物でもありません。そうではなく、できるだけ幅広い選択肢を提供することで、結果としてあらゆるワークフローに対応できる。そう思っています。
私たちの提案を受け入れてくれるクリエイターにはそのまま使っていただければ嬉しいし、もし提案を受け入れない場合でも決して邪魔になることはない。それが理想ですね。仮に10人中8人が必要としていない機能であっても、残る2人にとって絶対に必要だと思えれば、私たちはそれを届けていく必要がある。そうした観点でプロダクトデザインを考えていきたいですね。もちろん、Wacom Intuos Proのデザインにもこの考え方は息づいています」(西澤)
前田は、生まれ変わったWacom Intuos Proを手にしながら、多くのクリエイターが新しいペン体験に触れてくれるのが楽しみで仕方ないといった様子で話す。
「より薄く、より軽く。このコンセプトが色濃く反映されたプロダクトになったと自負しているので、ぜひいろいろな場所に持って行ってWacom Intuos Proを楽しんでいただきたいというのが率直な想いです。Wacom Pro Pen 3の新しい芯の描き味 も、一度体感してもらえればはっきりとした違いに気づいていただけると思います。スイッチやダイヤルキーも触感や操作感にこだわり抜いて仕上げました。創作活動で使っていない時でも思わず触れていたくなる。そう思っていただけたらエンジニア冥利に尽きますよね」(前田)
西澤と前田の二人をはじめとした数多くのデザイナーやエンジニアが一丸となり、心血を注いで作り上げたWacom Intuos Proは、何年にもわたってペンタブレットのフラッグシップモデルとしてワコムの名を高め続けることだろう。これから先も一体どんなペン体験を届けてくれるのか。デザイナーとエンジニアが創り出す次の共作を心待ちにしたい。